流れに感謝
今日までに神仏のお陰で賜った感謝の数々をご紹介します。
●年子で二児を授かった
●両親と同居
●長男に加護
●父親の交通事故死で先祖供養を
●関西への転任期
●脱サラからカイロプラクティック開業
●開業時
●阪神淡路大震災
●震災後
●江戸時代の先祖まで見付かった
●女性雑誌に掲載されて予約が殺到した悪夢
●食害や環境害の激化に対応
●再び転居
●疲労から脳梗塞を発症
●甚深ミミョウ他をヒラメキで
●8千人のお客様と東先生
●年子で二児を授かった流れに感謝
31才の時に社内結婚しました。家内は虚弱だったそうで、体育の授業は全休して来たそうです。
家内は高校生の頃に父親を亡くし、その頃から先祖供養を始めたようです。
結婚すると私も誘われて少しずつするようになりました。
結婚しても子供はなかなか授かれないだろうと懸念しておりました。
そこで結婚すると家内は退職させて専業主婦になって無理しないようにしました。
するとすぐに懐妊できて、無事に先ず男児を賜りました。
そして続けて年子で女児を賜る事ができたのです。
二児とも予定日より二週間ほど早めに産まれましたが、小さかったので母体への負担は軽かったようです。
結婚後にすぐに子孫を賜れた事は、神仏先祖の御陰と初めて感謝できました。
実は私も家内も一人っ子同士ですが、宮川家には男児出産は私ら夫婦だけなのです。
父の兄の伯父の家では従兄弟が5人居るのですが内孫も外孫も女児ばかり、弟の叔父の家でも従兄弟が5人居るのですが、やはり女児ばかりなのです。
従って私の長男だけが唯一宮川家の後継者になる訳です。
改めて男児を賜れたのは先祖供養の御陰かと感謝した次第です。
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●両親と同居できた流れに感謝
女児の出産直後に東京への転勤の辞令を賜ったのです。
東京の住まいは品川区内の西小山商店街の10坪の土地に建つ狭い二階建ての実家でした。(右写真のレンガ風の家)
しかし家内は両親との同居に同意してくれました。
両親は喜んで二人の孫の子守りをしてくれましたので、家内はその分家事が助かったそうです。
私が一人っ子でしたので、両親は女児を世話できるのをとても楽しんでいました。
しかし両親は70才前後でしたので、二人の孫の世話は負担だったと思いますが楽しくもあったと思います。
親孝行できたと感謝すると共に、家内の育児の負担を軽減して貰えた事も神仏先祖の御陰と感謝しております。
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●長男に加護賜った流れに感謝
二児を車に乗せて夫婦で多摩川の丸子橋の下流の河原に遊ばせに行った時に恐怖を体験しました。
駐車して夫婦で1才の娘を乳母車に乗せた後、そばに居る筈の息子を見ると居ないのです。
まだヨチヨチ歩きなので遠くには行かない筈なのに姿が見えないのです。
「えー!なんで居ないの!」周りを見回しても見付かりません。広い河原のどこかに走り出してしまったのです。
二人とも血眼になって名を呼びながら広い河原を探し回りました。
10分以上探したと思います。すると何と川岸に浮く貸しボート乗り場の桟橋の上に居たのです。
多分60cm幅の板の上を、川に落ちずに桟橋に渡っていたのです。
「居た〜!」涙があふれました。川に落ちずに発見できたのです。
この時こそ夫婦で神仏先祖の加護を痛感しました。
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●父親の交通事故死で先祖供養を気付かせてくれた流れに感謝
72才の父親は毎朝1時間散歩しておりました。
ところがある朝出たきり帰りません。昼になっても帰りません。
私達は近所の散歩しそうなコースを探し回りましたが見付かりませんでした。
そこで翌日警察に失踪届を出しに行きました。
ところが運が悪い事に、丁度東京に韓国大統領が来日しており、警察は警戒に総動員されている最中だったのす。
事故でないなら「狭い家に夫婦と孫が同居したのが負担になって、まさか自殺したのでは・・・?」
と最悪の事まで考えてしまい、身投げしそうな多摩川に行って上流から下流まで河原を歩いてみました。しかし見付かりませんでした。
すると3日目に近所の方からの情報で、隣りの目黒区で警察の広報車が人探ししていたと教えてくれたのです。
荏原警察署に聞くと碑文谷署が探していたと知りました。
すぐに駆け付けると老人が交通事故に遭い、広尾病院に収容されていると知らされたのです。
そこで確認の為に広尾病院に行って被害者に会うと父だったのです。
環状七号線を横断中に信号無視の4トントラックに撥ねられたそうです。
警察の話では父は、目が不自由な老婆と共に青になった横断歩道を渡り出した所、右か突進して来たトラックに気付き、振り返って老婆を庇いながら跳ねられたようだと聞かされました。傷が体の左側だったので振り返ったと想像できたそうです。
意識不明の植物人間状態だったので、機械を止めて戴き最後を看取る事ができました。
医師は「お父様は痛みも分からずに意識を失われたと思いますよ」と言って下さいました。
大塚の監察医務院で検死された後、桐ヶ谷火葬場で葬儀をさせて戴きました。
事故後に加害者が詫びに来られましたが、詫びの言葉を聞き静かに帰って戴きました。
父の葬儀の後「今の家は孫達が交通事故い遭いそうな危険な場所だ。閑静な住まいに転居せよ」と父が身を賭して伝えたのだろうと受け止めました。
その後、家を親戚に売り、その金と事故の補償金を元にして、世田谷区の上野毛(かみのげ)に低層の100uの中古マンションを見付けて購入しました。前後を畑に囲まれた絶妙の環境で、母と5人で転居した次第です。
この事故以来、父の成仏の願って家内に言われて少しはお経を上げるように変われました。
ところで転居すると家内は世田谷区上野毛での生活を満喫していました。
子供の幼稚園仲間の母親の中に、関西出身の人達が居て、仲間に入って東京の情報を楽しんでいました。
近所に二子玉川があり高島屋へ行ったり、ちょっと行くと自由が丘、代官山、渋谷でのショッピング!
近くに森昌子ちゃんの実家があり、芸能人の「○○さんと会った」「今日は○○さんを見かけた」とか。青山のこどもの城に行こうなどとはしゃいでいた想い出があります。
今思うと家内に東京の中でも最も人気の世田谷区での生活をさせてあげられたのは、彼女にとって貴重な一時期だったろうと感謝しております。
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●関西への転任期の不思議な流れに感謝
上野毛のマンションで3年ほど住むと、人事への希望が通って再び大阪へ転勤できる事になりました。
この時期に三件の神仏先祖のお手配としか思えない不思議な体験をしました。
(1) 息子だけに災難が!
先ず神戸から転勤で東京へ戻ったのに、5年後に再び大阪へ転勤の辞令が出たのが不思議でなりません。
家内は早く神戸へ戻れますようにと、毎日神仏先祖に祈願していたそうです。
実はこのマンションに居住中、息子だけが専用庭で転倒して頭に怪我したり、室内滑り台で前歯を折ったり、腕を脱臼したり事故が絶えなかったのです。
下の娘には何も起きません。男児だから怪我は仕様がないと思っていました。
ところがマンション内を転居の挨拶で回った際に、親しくしていた方から「このマンションでは建築中に男児が屋上に上がり、ライトコートから転落して亡くなる事故があった」と初めて聞いたのです。「えー!それで息子だけが怪我するのか!」と悟った次第です。
そう言えば、このマンションの購入前に見学に来た際、先の入居者の小学生くらいの坊ちゃんが、異様な行動をしていたのを思い出しました。見学中に机の下に隠れ続けていたのです。
又隣りの入居者も小学生の長男だけがしばしば泣きながら、ドンドンと壁を叩いて騒いでいたのを思い出しました。
このマンションは男児への悪因縁がきつかった事が転出する時点で分かり、大難にならず小難だけで去る手配を賜れたと感謝した次第です。
(2) マンションの売却が高額で
大阪の営業所に転任するに当たり、家内の実家は尼崎にあるので上野毛のマンションを売却する事にしました。
売りに出すとバブル期だったのでマンションが何と買値の3倍近くで売れたのです。まさかの売却益が出たのです。
しかも購入されたご家族はお年寄りで、因縁ある男の子はいなかったのです。安心して売却できました。
結婚前の転勤中では東灘区住吉に住んだので、慣れた東灘・灘を中心何件もの物件を探した末に、母と一緒に住める家だとすると大きな物件になり高額過ぎるので、購入は諦めて賃貸で戸建ての物件を探しました。
その結果住吉で築25年くらい経つ古い木造の住宅でしたが、建坪60坪あり2階に日当たり良い母の部屋も用意できる上に、尼崎の義母も泊まれる部屋があるのでここを決めました。
両母だけでなく先祖の住まいと受け取り、感謝して賃貸契約した次第です。
(3) 母にガンが!
転任直前に母に胃ガンがある事が判明したのです。毎週内科医院に通って高血圧の監視をして戴いたいたのです。
しかしたまたま検診車でのレントゲン検診の誘いがあり受けさせました。すると末期の胃ガンが見付かったのです。
すぐに昭和大学病院に入院して胃の全摘手術を受けたのです。
母のガンを知り流石にお経に頼り、何かできる事を模索しました。
すると九州への出張の途中、羽田空港ロビーの本屋で「蓮見ワクチンで癌は治る」の本に出逢い機内で熟読しました。
「これだ!」と思い、早速家内に電話して同意を得て、帰宅後に阿佐ヶ谷でワクチンを購入しました。
病院の医師にワクチン接種を依頼すると「半年の命でしょうからご家族の依頼に応じます」と言われて医師はワクチンを打ち続けてくれました。
母にはガンは隠して胃潰瘍と言ってありましたので、栄養剤だと言っていました。
退院後は家で母への摂取だけでなく、夫婦も健康の為にとワクチン注射を打ち合って転勤を迎えました。
神戸では住吉東町に親を同居できる古い賃貸物件を見付ける事ができました。
近所の内科医院に病院からの照会書を見せると了解戴き、先生は素直に母に毎日ワクチン接種して戴けるようになったのです。
徐々に元気になると母に先祖供養を勧めると「私もやるよ」と言ってくれたのです。
東京で勧めても親戚の邪魔が入りやってくれませんでしたが、神戸で一人になると、病後の不安もあって一緒にお経を上げてくれるようになったのです。
今思うと、ガンに罹ったり転勤で神戸に移れた御陰で一緒に先祖供養をして貰えたのだと、病気と転勤に感謝しています。
半年の命の筈が1年半延命して戴き、最後はモルヒネに頼るような痛みは全く無く、穏やかに夫婦で上げるお経を聞きながら霊界に戻ってくれました。
転勤・ガン発症・転居の一連の流れは神仏先祖のお陰だと実感して感謝しています。
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●脱サラからカイロプラクティック開業への流れに感謝
平成2年に母を亡くして1年。喪が明けた頃にバブル崩壊!
丁度その頃から仕事で不本意な事が続き、急激に無為感と心労が高まりました。
耐えられなくなり平成3年に会社に退職を申し出て半年後の秋に退職しました。
この期に色々な人との別れや出逢いなどがありました。
(1)家内の同意
家内へは会社に退職希望を申し出た後に話ました。
「何で!」と怒られる事を覚悟して言ったところ「お父さんの健康が第一だから、好きなようにやって!」と言ってくれました。
退職の前に先輩や同期に挨拶回りをした際に皆から言われたのは、「奥さんがよく退職を了解してくれたな。内なら許してくれる筈ないよ。」という羨ましがる言葉ばかりでした。
後に家内に「よく素直に同意してくれたなあ」と聞くと「健康第一なので、仕事を変わるように手配された時期だと思ったから」と言われました。この時も素直な家内を賜った事を実感し「御先祖様ありがとう」と先祖供養に感謝した次第です。
(2)カイロプラクティックとの出逢い
退職願いを出した後に毎朝のお参りの帰り、阪神御影駅で停車中にカイロプラクティックの学校の看板が目に入ったのです。
家内が「もしお父さんが治療師になったら毎日治療して貰えるね」と呟きました。
家内は子供の頃から虚弱だったので、整体やマッサージをしばしば受けていたらしいのです。
私は民間治療など一度も受けた事もありませんでしたが、何かピーンと来て運命的な出逢いを感じました。
「後で学校に行って、入学案内などを貰ってみようか」と言うと、家内も同意したのですぐに見学した次第です。
こぢんまりとした家庭的な学校で、校長は女性でとても品の良い淑女でした。
説明を受け見学した後、すぐに入校を決めたのです。
秋に入校を内示しても入校は半年後の春です。
すると先生は「1月から授業を受けに来なさい」と言われて、4月まで無償で前学年の授業に出させてくれたのです。
入学金や授業料やセミナー代などはマンション売却益で用意できましたので、無事に卒業できました。
43才でしたが、人体や施術の勉強にワクワクした日々が始まり、新たな人生に道が開けた喜びを感じられました。
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●開業時の流れに感謝
ストレスから逃れるようにして退職し、流れでカイロプラクティック学校に入学しました。
しかし卒業して開業する際の準備は何もしていないし、自営の知識は何もありませんでした。
平成5年4月43才の時に開業しましたが、その前後に学校だけでなく先祖供養の仲間から開業に当たり色々な支援を得たのです。
(1)開業の立ち上げ
突然先祖供養の仲間から或る方が現れ、屋号を「宮川カイロプラクティック」にするつもりを「神戸カイロプラクティック」にしなさいと強く助言されたのです。
「神戸」とは誇大過ぎると言うと、神仏先祖に繋がる天職なので「神戸」にして下さいと説得されたのです。
そこで畏れ多い事ですが屋号を「神戸カイロプラクティック」にさせて戴きました。
また看板を寄贈戴いたり、仲間への口利きもして下さり、開業直後からお客様に恵まれたのです。
まるで神仏先祖がこの方を差し向けて下さったみたいでした。その方とはその後パタッと縁が切れたのです。
(2)家主からの自営許可
賃貸住宅は会社との法人契約になっていましたので、退職したら出て行かねばならない筈でした。
実は会社の同僚だった女性が一緒に先祖供養をして戴いておりました。
その女性が結婚された彼氏とお話ししていると、その彼氏のお父様が三宮でM商社を経営されており、その会社が三宮の或る駐車場を長年契約して利用していると聞いていました。
ある日三宮に行ってその駐車場を利用すると、駐車場管理人が家主の奥様だったのです。
そこで退職後の契約改定の前に、「M商社の息子さんと親しい関係です」とお話ししたら、「そーーー!じゃあ個人契約でカイロプラクティックをやっていいですよ」と言われた上に、「お客様へのサービス向上に・・・」とエアコンを新調し250kgある施術ベッドを置く位置などを指示して下さったのです。
先祖供養をして下さる方をお誘いできたら、その方の御縁で自営を許可する賃貸契約できたのです。
(3)学校で施術実習や講師サポートから頭蓋骨矯正を
卒業後、患者様の数は少ないでしょうからと校長が心配下さり、学校に併設された治療院を手伝わさせて戴く依頼を戴けました。
実はその手伝いで校長が施術される療法を見ていた時に、患者様の額に手を当てて穏やかに圧を加える手技をされていたのを見たのです。
この時電撃が起こりました。「これだ!」この時の場面が脳裏に焼き付き、すぐに施術に採用し始めたのが頭蓋骨矯正を採用するきっかけになったのです。
学校で学んだ施術ベッドを活用して施術するトムソン・テクニックや低周波治療器・光線に加えて、頭蓋骨に施術する流れを行う流れを始めたのです。
また授業で講師の先生のサポートをさせて戴くようになりました。
そのお陰で習った内容を復讐したり、開業後の実技を前提とした目で改めて理論を解釈できるようになりました。
人体の解剖や生理や病理、そしてカイロプラクティック施術の効果などの理解を高める事ができたのです。
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●阪神淡路大震災での流れに感謝
開業後、先祖供養を行じられるお客様方が沢山来院戴き、学校で習った施術法を中心にして営んで行けていました。
平成7年1月17日、その日も早朝に家内と義母を乗せて車でお参りに向かっておりました。
5時46分、急にハンドルが取られ街頭や店頭の照明が一気に消えました。
「アレ!何か変だぞ!」異変を感じてUターンして帰路に就きました。すると視界が煙のようなホコリで霞み、道路に倒壊した家や、凹凸になった道路、散らばる石塊、・・・。大地震が起こった事を悟りました。
と言う事は子供達は大丈夫か?恐怖に変わって来ました。
自宅近くに着くと、目の前に二人の人影が照らされたのです。
何と内の小6男児と小5女児の子供達二人が立っているではありませんか。
「うそー!ワーよかった!」すぐに二人を車に乗せて路肩に停めて様子を見ていました。
この時もまた神仏の加護を実感して心から感謝させて戴きました。
徐々に周囲の人々が外に出てきて、小学校が開けられ大勢の避難者が開放された体育館に集まって来ました。
しかし館内は余りにも寒いので、車をグラウンドに入れて車内で暖と取っていました。
明るくなってから自宅へ歩いて向かうと、途中の路地は電柱が大きく傾き、左右の家屋は皆倒壊しておりました。
自宅前に来ると、築35年を越える木造の家は無傷で建っていたのです。
玄関ドアを開けようとすると、内側に落ちた物が邪魔してなかなか開けられませんでした。
室内は家財は倒れ落下して、足の踏み場もない状況でした。
ところが落下した時計を見ると、何と5時36分で止まっているのに気付いたのです。
子供達にどうやって他人より先に外に出て、角に立って居られたのか聞いてみました。
すると息子が「グラッとしたので起きて服を着て、妹を起こして一緒に外に出て路地を歩き角まで出て親を待っていた。」と言っていました。
「路地の電柱などに頭をぶつけたりしなかったか?」と聞いても「何でもなかった。」と答えたのです。
しかし明るくなって路地を見ると、左右の電柱が45°くらい傾いており、玄関のドアも物が落ちて簡単には開かない状態だった事が分かりました。(右の写真はやや整備された2月19日のものです)
楽に外へ出て無事に角まで出られたのは、神仏先祖の加護があったとしか考えられませんでした。
震災後も地底からゴーッと地鳴りを伴う余震が続き、周囲のお宅は倒壊や破損で皆さん避難されていました。
夜になると明かりや音や人気は全く無い闇夜になり、懐中電灯とローソクの灯りの元で家族で輪になってお経を上げる生活を送りました。
電気の復旧に1週間、水道の復旧に1ヶ月、ガスの復旧に3ヶ月かかりましたが、救援物資を賜り乗り切る事ができました。
またしばらくして家主さんと共にこの家を建てた建設会社の技術屋が被害を見に来たのです。
家主と「流石ですねー」と言葉を交わしていました。理由を聞くと「しっかり作りましたからねー。」の答え!
実は家主は大林組の建築技術者だった方で、現役バリバリの頃に念入りに建てた家だったのだそうです。
そんな物件を借りられた事で大震災から助けて戴けた事を知り、改めて裏の御加護に感謝した次第です。
この体験から本気で御先祖供養をしようと決意致しました。
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●震災後の流れに感謝
震災後4月から営業を再開し、毎朝の夫婦での参拝も再開しました。
しかし以前のお客様からの予約はなく、毎日が日曜日状態です。
そこで頭に或る衝動が起こりました。それは施術を「頭蓋骨」に施すというものでした。
頭蓋骨矯正などの本を読んでもしっくり来ません。
そこで自分の頭や、家内や二人の子供や義母などの家族の頭や体を借りて、頭に浮かぶ手順で施術方法を試行錯誤しました。
当時ファイファー磁気テクニックという療法のセミナーを受けた時に、人体は五感に嫌な刺激が有る場合に、両足の長さが瞬間に差が生じると言う反射で拒絶を知ると言う判別方法を教えてもらいました。
有害な品をお腹に乗せると、揃っていた足の長さが一時的に差が出て片方が短くなるのです。
下のイラストのように、有害物をお腹に乗せた途端に両足の長さが不揃いになる反射が起こる反応を、お客様の目の前の液晶テレビ・モニターに映し出して自覚して戴いておりました。
それなら或る関節に施術の圧を加えた時、それを体が嫌う加圧なら足が短くなるのでは・・・と考えました。
しかし背中の或る関節を押圧した状態で両足の変化を見に行く事は不可能ですし、見に行ってもすぐに揃ってしまい、判別できません。
そこで「何か良い方法はないだろうか?」と色々な方法を模索し続けました。
私は電子測定器を販売する会社に居ましたので、メーターを振って判別するイメージが湧いたのです。
「そうだ!指の振れで判別できないか?」とヒラメキました。これが人差し指による指テストの切っ掛けです。
右手で有害な品に触れたり握ったりすると、立てた左手一差し指が倒れるのです。
また家族やお客様を仰向けに寝かせてお腹の上に、体が嫌がる有害な品を乗せた途端に、私の左手の指が倒れるのです。
薬などの場合、お腹に薬を乗せて、量が不足や多過ぎの場合は足が不揃いで指が倒れるのに、適量になると足が揃い指が立つのです。
この有害物を判別する指テストを家庭で活用して、家族の食べ物や身の回りの品物に触れたり見たりして有害か無害かを判別しました。そして有害と判定した品を排除したり、無害化する方法を模索するようになりました。
食品や環境の無害化が進む程、弱い害でも感じ取る指テスト感度も上がってきました。
しかし施術に於いては両手を使うので、左手での指テストは活用できませんでした。
有害物で立てた指が倒れるのは、被害に脳が拒絶反応して全身に拮抗する筋に緊張を与えるトーヌスが一瞬脱力させてしまう反射だと解釈できました。
と言う事は指を立てる示指伸展筋でなくても、何でも良い筈だとヒラメき、体の中心か左右対称にある筋肉を試しました。
Oリングテストは拇指と子指の対立筋の脱力を使用しますが2人で行う方法です。
その結果、舌を巻く筋肉や両目を閉じる筋肉による方法も試しましたが、これらは繰り返すのが辛い動作なので、結局軽く咬む顎の筋肉(左右の咬筋)を使って、両手を使う施術中でも判別できる方法を訓練しました。
その間に頭蓋骨に回旋歪みと呼ぶ捻れ歪みが、蝶形骨に対して後頭骨では20°、顎関節には7°有る事を気付かせ戴き、それを手技で解いて0°に正中させる療法をヒラメキでお教え戴きました。
頭蓋骨を矯正する場合、縫合(隙間)を拇指と示指で開く力を加えます。当初は脳は嫌って咬筋は力が入りません。ところが暫く離開力を保持し続けるとスーッと咬む力が強まる瞬間を迎えるのです。この瞬間に縫合が離開できたのです。
脊柱を矯正する場合、上下の椎骨の横突起に解く力を解けるまで掛けて、椎間が軟化して咬む力が強まる瞬間を待ちます。
これらの施術の間、お体に「ここに圧を加えますよ。解けたらお教え下さい。」と問い掛けながら施術しました。
こうして有害物の判別や、施術での矯正の確認を、指テストを応用した咬筋テストで進める療法に気付き、習得して生活や施術に活用しました。
この感覚を利用した療法に気付き極める過程では、数え切れないヒラメキを賜りました。全て神仏先祖が与えて下さった流れだと感謝しております。
これらの無害化方法や頭蓋骨の回旋歪みと施術の紹介は、当院のホームページに随時詳しく掲載して案内し続けて参りました。
その効果で、心身の不調を訴える若い方々が全国からお越し戴き、喜んで戴ける方が増えて来ました。
※2007年の当院HP「頭蓋骨矯正と効果」
他の先生方のカイロプラクティック療法を家内に受けさせました。しかしどの療法でも体調は改善しませんでしたが、私の療法を施しますと、産まれ変わったように健康体へと甦り、夫婦で元気に毎朝修行できるようになれたのです。
そして平成10年の頃には日常的に御神仏を感じてヒラメキを賜れるようになれたのです。
一般のカイロプラクティック療法では関節にスラストと呼ぶ瞬間圧を加えて、サブラクセーションと呼ぶ関節の捻れ癖を解きます。
しかしその関節に圧を加えて良いのか否か。良くてもスラストした結果解けたか否か。確認できずに進めます。
しかし私に賜った療法は、施術の場所毎にお体に圧を加えて宜しいか伺い、良いとご返事があった関節だけ「よし!」と返事がある迄加圧させて戴くという方法なのです。
この療法を習得させて戴いたので、施術手順や結果に不安が無くなり、術後経過は(お客様の守護神に)お委ねするという気持になれたのです。
そのお陰で一喜一憂する事なく施術に慢心しないようになり、謙虚に施術に臨めるようになったのです。
一方無害化の方法を祈願してヒラメキを求めると、アクを無害化する樹液商品(陀羅尼助、竹材、メープルシロップ)や、コルク枕や化学物質などを無害化する無害マンを作り、お客様に進めてご家庭での無害化対策を啓蒙して参りました。
無害化策のヒラメキを賜ると、それを作る上で家内の協力が不可欠です。家内は私の奇妙な仕草や依頼に快く協力してくれました。
穏やかで素直な性格の家内に感謝した次第です。もし反対されたら無害化も施術開発も成し得なかった筈です。
施術中はお客様のお腹に無害化策を施し、脳が被害から解放されて捻れを解こうとする反応の間に、解く方向の施術を進めるようにして施術効果を得る事ができました。
一般の療法は無害化対策などせずに施術するので、お体が防御体勢を取っており、解こうとする施術を拒否する反射が起こります。それ故に術後疲労感が起こる上に、改善の感覚は一時的であり施術が効か認められないものと考えられます。そこで何回もの施術を勧められるだけです。
またツボへの熱や圧刺激療法は、刺激で体内麻薬を分泌させる事で痛みを一時的に封じる効果だけである事も分からせて戴けました。
こうしてお客様の守護神先祖を念じながら施術をさせて戴ける日々を送れるようになり、ズーッと極めて参りました。
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●江戸時代の先祖まで見付かった流れに感謝
結婚後、夫婦で川崎に住む80才くらいの伯母と従兄弟を訪ねて挨拶がてら先祖供養を勧めてみました。断られましたが自分も昔宮川家のルーツを辿った事があると教えて戴きました。「四国徳島まで行ったけど分からなかった。神戸に引っ越したなら探してみてよ」と依頼されてしまいました。その時に徳島で撮った白黒写真も渡されたのです。
その後、家内とフェリーで徳島に渡り、最初は電車で、2回目からは車で吉野川沿いの安楽寺や歴史館を巡ったり役場の場所を確認したりしました。
平成10年の或る日、東京から電話があり、伯母が亡くなったという連絡があり、「すぐに行け」との御指示を感じたので、川崎での葬儀に参列しました。すると従兄弟から、伯母が信仰していた宗教団体から宮川家の先祖にGが居たと聞いたと教えて貰えました。
帰るとすぐにヒラメキで「四国へ行け」と感じ、家内と四国へ向かいました。
何と明石海峡大橋が開通した直後です。車で2時間くらいで吉野川沿いに着けました。
宮川Gの名を携えて、藍住町から板野町、上板町と西へ役場巡りしました。しかしどこも「ありません」と門前払いでした。
すると吉野町の役場で30分待たされた後、戸籍係の上司が出て来られて「除籍では宮川Gさんは分からないけれども、宮川さんが大勢住んで居る所があります。行って聞いてみたら。地図で教えて上げます」と言われたのです。そこで参考になればと、以前伯母から渡された白黒写真を見せてみました。すると「Sさんの家だ!」と教えてくれて、地図に印を付けてくれたのです。
「ヤッター!」と鳥肌が立ちました。すぐに車で宮川家の部落に行き一軒一軒先祖にGさんは居なかったか聞いて回りました。
皆ご存知の家はありませんでしたが、一軒だけ「知らないけど、一軒徳島市内に転居した宮川さんが居る。連絡先が分かったら電話する」と言ってくれたのです。
またSさんの家の前に行くと、確かに写真に写る家と同じでした。Sさんを呼び出して先祖を聞くと、S家の前は確かに宮川家だったが、先祖の事は知らない」と言われ止まってしまいました。ただし宮川家の菩提寺がある教えて戴けたので、すぐにその寺に行ってGさんが過去帳に有るか聞きました。しかし分かりませんでした。その日はここまでの収穫で帰宅した次第です。
何日かすると電話があり、徳島市に転居した宮川さんの電話番号を教えて戴けました。すぐに電話して事情をお話しすると「どうぞ来て下さい」と言われたのです。
すぐに夫婦で淡路鳴門自動車道で徳島市の宮川さんのお宅を訪ねました。すると仏壇から古い位牌を沢山見せて戴けたのです。するとその中にGさん代々の御先祖の位牌があったのです。真っ黒で読み難かったのですが書き留められました。
すると「すぐに菩提寺へ行け」と閃いたので、菩提寺を再度訪れて書き留めた宮川家先祖を住職に見せると、関連する過去帳を見せて戴けたのです。正しい戒名と俗留める事ができたのです。
こうしてヒラメキから数日の間に、江戸時代の徳川家光の頃に亡くなった御先祖まで30近い御先祖を探し出す事ができたのです。
皆さん吉野川北岸で洪水や飢餓などで苦労された農民だったようです。
叔父や従兄弟にも経過と結果を報告して、大変喜んで戴けました。
そして過去帳に法名をお付けして加筆させて戴き、命日にお経を聞いて戴けるようになりました。
神仏のお力にお縋りして、これらの御先祖の成仏を祈願させて戴いております。
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●女性雑誌に掲載されて予約が殺到した悪夢の流れに感謝
関西の女性月刊誌のHanako WESTが突然来られて、取材を受け女性記者さんを患者にして頭蓋骨矯正する様子を撮影されました。
そして平成13年2月号の「今年こそ本気でやせる!」と、3月号の「スキンケア大作戦。」の中で、多数のお店の片隅に当院も紹介されたのです。(表紙と記事を紹介します)
すると販売翌日から予約の電話が鳴り続けて、すぐに予約3ヶ月待ちになってしまいました。
嬉しいような、恐いような。一方常連さんの予約にも迷惑を掛ける事になり、謝罪しながら流されておりました。
ところがです。2ヶ月3ヶ月経つにつれて、予約同日にキャンセルの連絡なしに来られないケースが増え出したのです。
予約の入り具合も2週間くらい経つと下火になりましたし、常連さんの予約も戴けなくなり、3ヶ月後には空き時間ばかりになってしまいました。収入も激減してしまいました。
「アー!そう言う事か!取材なんかに乗ってしまってバカだったなー」と、欲を出すととんでもない反動がある事を悟った次第です。
一端減った予約を再びコンスタントに埋めて戴けるようになるのには一年を要しました。
神仏先祖によって欲を出して広告やメディアに頼ったりすると、一時ヒットしてもその後に地獄が待っている事を体験で教えて戴けた訳です。
神仏先祖の慈悲に改めて感謝させて戴きました。
家族だけで営んでいる自営業なので、ヒットが冷めてもダメージは小さいですが、企業ですとヒットに対して増員したり設備を増やしたりしたら、冷めた後のダメージは大きいだろうと言う事も想像できました。
一発芸の芸人さんがヒット後に苦労されるケースもしばしば紹介されますが、私も小さなダメージで体験できました。
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●食害や環境害の激化に対応する流れに感謝
ノストラダムスの大予言の世紀末を越えて21世紀を迎えて何も重大事は起こっていなかったようですが、私には或る重大事が起きていると思えてなりません。
それが遺伝子組み換え農作物の出現です。
遺伝子を組み換えて、農薬を撒かなくても虫が毒性を感じて寄りつかない殺虫性を持たせたり、除草剤を強く撒いても枯れない除草剤耐性を持たせた農作物が不自然に作られている訳です。
それらの作物の食品が人体には強く異質な有害性を持ってしまっているのです。
この当院の患者様は平成17年(2005年)には回旋歪みを当院の手技で1度解いても、遺伝子組み換え食害被害で回旋歪みを再発させてしまう状況に至ってしまい、家庭で無害化しない限り回旋歪みが無い状態を維持できなくなったのです。
そこで遺伝子組み換え食害被害を無害化する品を御神仏に念じた末に、ヒラメキを賜り入手する事ができたのです。
施術の際には、その品を腹の上に乗せて無害化して、脳が強烈な被害から解放された状態にしてから矯正を行うようにするようになりました。
そしてお帰りの際には、その品の切片をお持ち帰り戴き、お宅での遺伝子組み換えの害の解毒方法をお勧めして予防するようにして戴いておりました。
遺伝子組み換え被害の無害化を併用した頭蓋骨矯正を紹介したホームページで、全国から若い方々が施術を希望されるようになりました。
しかし若い方々の中には心身の不調を訴える人も多く、中には施術を受けたいけど神戸まで行けないとか、家族全員に施術を受けさせたいが費用が掛かり過ぎて行けないと言う問い合わせ出てきました。
そこでお客様のお宅まで行って施術する出張サービスもヒラメキで発案して実施致しました。
こうして多忙な日々を送れる充実した一時期を過ごす事ができたのです。
そして悪魔のような遺伝子組み換え害をも無害化できる品をヒラメキで賜れた事に深く感謝させて戴いた次第です。
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●再び転居する事になった時の流れに感謝
20年暮らした借家の家主から、高齢になったので不動産屋に土地を売ったとの通知がありました。今後は不動産屋との契約になるとの通知を受けたのです。
すると不動産屋からは解体して立て直ししたいので1年後には出て欲しいと申し渡されたのです。
そこで御神仏にお縋りしながら同じ東灘区内の物件をインターネットで探しては、魅力を感じた物件を何軒か見に行きました。
そして遂にJR住吉駅・阪急御影駅・阪神御影駅の3駅からそれぞれ10分の等距離にあり、近くに駐車場や目の前に公園がある素晴らしい立地条件の三階建てヘーベルハウスの中古物件を見付けたので決めたのです。
そして平成19年4月に御影中町のこの物件に転居する事ができました。
今迄お世話になった住吉神社にお礼のご挨拶をして、今度お世話になる弓弦羽神社にご挨拶させて戴きました。
新居の玄関前は公園の桜並木!丁度満開の時に引越しする絶好のタイミングでした。
そして二階の神棚の間の窓を開けると目の前は満開の桜の並木!神仏より「ここぞ先祖の館」との言葉を戴ける流れとなりました。
そして引越の際に分かったのですが、転出した借家の不動産屋の社長は偶然?同じ先祖供養をやっている人だったのです。
そこで「転出後は壊すだけなので、不要の品はそのまま置いておけばいいですよ。」と言て戴けた上に、敷金も全額返金して下さったのです。
改めて裏の加護の元での流れであった事を実感し感謝した次第です。
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●疲労から脳梗塞を発症した前後の流れに感謝
そんな引越の苦労も一段落した半年後の12月9日(日)。昼前に治療室で椅子に座って資料整理をしていると、急に右手に力が入らなくなってしまいました。「あれ!変だぞ」しばらくすると回復してしまいました。
すぐに居間に行って家内に状況を話すと「すぐに病院へ行かなくちゃ」と。「もう治ったから様子を見よう」と言うと、「ダメ!すぐに○○病院に行こう」と連れ出されました。
病院へ行って救急窓口で症状を言うと、すぐにCT、MRI、X線、心電図、血圧、血液検査、などをされました。
日曜日なのに幸い脳専門の医師と内科医がいらっしゃいまして、「軽い脳梗塞を起こしていますよ。血圧が高い上に血糖値が極めて高いです。このまま入院して下さい。」と言われたのです。
「予約を沢山受けているので、一端帰宅して処理してから入院したい。」と言うと。脳専門医は「もしあなたが私の親なら絶対に入院させます。」と警告されたので、そのまま入院する事になったのです。
その後インシュリン剤接種や投薬・点滴など血糖値を下げる治療を受けて、21日間で退院できました。
その間、家内は病院から糖尿病対策の食事療法の教育を受けてくれたので、退院後は家内の食事療法の工夫に努め続けてくれました。その御陰で血糖値を下げる薬や血圧降下剤は飲まずに、家内の糖制限の食事管理だけで低いレベルを維持して戴けるようになり、現在に至っております。
カイロプラクティックの施術士になって丁度20年の節目に、お客様の健康作りばかりに専念して肉体と心を無理して来た生活から、無理せず己の健康管理をしながら残る日々を送るように変えろとの神仏先祖からのお手配だったと受け取りました。
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●甚深ミミョウ他をヒラメキで賜る流れに感謝
有害な食品や品が増えると共に、目で見ただけで指テストで有害・無害を判別したり、有害ならどの程度の有害性が有るか数値で求める事が養われてきました。
それもどんな有害性がどの程度有るか数値で計れるようになったのです。
そんな感覚を利用して施術中の患者様の食害や衣類の害などをチェックするだけでなく、お宅で撮影したお顔などの写真をメールに添付して見せて戴いてもチェックしてお答えする事ができるようになり、ホームページで写メによる画像チェック・サービスも行っておりました。
しかし遺伝子組み換え毒被害が強まると共に、人体の関節が硬くなり手技の施術時間がどんどんと長くなってしまう傾向に悩まされるようになりました。
「これでは体が持たない!」と限界を感じていた平成19年の春に移転し半年後の初冬に脳梗塞を患ってしまったのです。
そんな体の負担を神仏先祖が受け取って戴けたようで、無害化対策として食品に無害化液を滴下する方法でなく、携帯しているだけで近くの食品を無害化してしまう無害チャンを平成20年11月にヒラメキに従って作製できるようになりご提供できたのです。
また同時期にやはりヒラメキで特異な周波数の音を鳴らすと環境を無害化できると言う奇想天外な方法も天からお教え戴いたのです。住宅の種類や車両の大きさ毎に周波数が違う正弦波を録音したCDを作製して、無害オンと称して販売もさせて戴きました。
(1)ヒラメキから甚深ミミョウ出現
実は平成19年の秋、脳梗塞を起こす少し前に、先祖供養の尊い方が私達夫婦の近くに寄って来られて、桜の落ち葉を拾う仕草をされて去って行かれたのです。この場面は頭に焼き付いておりました。
1年後に無害チャンや無害オンの発売の直後にいよいよ甚深ミミョウのヒラメキを賜る事ができたのです。
先述しましたように転居した家の前は桜並木でした。秋には落ち葉が道路や公園内を絨毯のように埋め尽くしました。箒で掃いてゴミ袋に詰めると何袋にもなりました。
すると1年前の尊い方が桜の落ち葉を拾われた姿の記憶と共にヒラメキがあり、大量の桜の落ち葉を集めて、新作の無害チャンと御指示の様々な品を集めて、御指示に従って購入した箸置きにイメージ通りの処理を施させて戴いたのです。
そしてその処理済みの箸置きの効能をお尋ねすると、現在ある有害性が半径10mの範囲で協力に無害化できるとお教え戴けたのです。しかも手技で1時間ほど掛けて解いていた頭蓋骨の回旋歪みも、この箸置きが解いてしまう神力を持った品になっていた事が分かったのです。
信じられませんでしたが、何人かの新患様の回旋歪みが来院されただけで、私の手技の前に解けており、無害チャンなどを近付けなくても食害被害は無害になられているのを確認できた時には仰天してしまいました。
しかも無害マンで撫でたり、無害オンを鳴らしていなくても衣類や毛髪の害が無害になっている事も分かったのです。
何と凄い品を賜れた事か!「商品名は何としようか?」と家内に命名の課題を与えると、しばらくして「甚深微妙(じんじんみみょう)はどうかしら!」と返事があったのです。「それはいいぞ!ピッタリだ!」と言う事で無害マン・無害チャン・無害オンと同じ調子で甚深ミミョウと表記するように決めました。
お客様の健康作りだけでなく私の負担も軽減して戴ける有難い不思議な品を具現化して戴けたので、神仏先祖に感謝すると共に、価格もヒラメキの御指示に従い10万円で平成21年元旦に発売させて戴く事になりました。
その後、度々のヒラメキを賜り新たな害を無害化する効能を追加する方法を用意して、ユーザー様には無償でバージョンアップをして、商品価格は据え置きで販売させて戴いて来ました。
同時に甚深ミミョウが余りにも高額なので、2個目以降として及ぶ範囲は1mですが甚深ミミョウと同じ効能を持つミニ・ミミョウを5千円でご提供するヒラメキも賜りました。ブルーのトンボ玉に効能を与えた品で、甚深ミミョウに添えれば充電できたので大変評判を戴けました。
以前より私の頭蓋骨矯正の手技を教えて欲しいと言う問い合わせがありましたが、ヒラメキに従って全てお断りしていました。その理由は施術の全ての行程を、守護神に伺いながら行う特異な方法だったので伝授できないからです。しかし誰かに伝承しないと、矯正方法が途絶えてしまう懸念もありました。
ところが甚深ミミョウを賜った事で、後継者に伝承しなくても無害化効能と共に頭蓋骨の回旋歪みを解くと共に、歪みの無い状態を維持してくれる理想郷が実現できたのだと安心していました。
(2)東日本大震災での福島第一原発爆発による放射能汚染への配慮
平成23年3月11日に東日本大震災の津波から福島第一原発がメルトダウン爆発する大事故が起きてしまいまいた。
放射能汚染が徐々に全国に広がって来る災難に対して、無害化効能を神仏に祈願したところ、放射能まで無害化する効能をバージョン9として用意できるようになりました。
同時に価格も「下げよ!」との御指示を感じて大震災復興支援価格として甚深ミミョウを7万円にさせて戴きました。
ところが好評だった2個目からのミニ・ミミョウはバージョン9には対応できない上に、被害激化で充電しても効能が持続できなくなり実質的に廃止せざるを得なくなってしまいました。
そこで神仏に問うと「半額にせよ!」と感じ取れたので、2個目からは3万円に下げさせて戴きました。
(3)甚深ミミョウで施術不要になり閉院
甚深ミミョウの登場後は、甚深ミミョウをお持ちのお客様でないと頭蓋骨の縫合が固過ぎて矯正できなくなった上に、甚深ミミョウを購入戴いたお客様は自力で回旋歪みが解けて無害化も図られるので、当院に来院される必要性が無くなってしまったので20年目の平成24年5月に閉院する事にしました。
(4)甚深ユーゴーの出現
一方、施術に於いて幾ら回旋歪みを解いても歪みが取れず、半身脱力があって姿勢が歪み続けて体調が改善できないお客様が割りといらっしゃったのです。その原因は奥歯の虫歯治療で詰めた金冠が、産まれつきの自然歯だった高さより高く詰められた方に起こっていた事が分かっていたのです。そこで高い歯を特定して、当院の近所の歯科医院で削って戴く連携を取らせて戴き、効果を得ていたのです。
しかし1回削っても削り不足で複数回通って戴いたり、削るだけの目的で当院まで来て戴くケースもあって限界を感じておりました。
そこで御神仏に求めると、ヒラメキで甚深ミミョウに或る処理を施した箸置きに、歯の高さ異常を吸収してしまう効能を賜る事ができたのです。この効能の箸置きは甚深ミミョウと融合して働くので家内は「ユーゴー(融合)」と名付けてくれました。神仏より5万円の価格の御指示で平成24年5月に発売させて戴きました。
(5)古民家への転居
閉院して収入が減った状況で御神仏に問うと、施術室が必要なくなったので「普通の住居に移る」とのお答えを感じ取ったのです。
早速インターネットで東灘区の戸建ての賃貸物件で、収入は甚深ミミョウと甚深ユーゴーのネット販売だけになるので家賃は今迄の半額の物件を探すと、住吉宮町で築40年二階建て庭付きの古民家が目を射ったのです。この検索結果は神仏が手配されたようで、早速平成24年6月にこの家を契約して転居した次第です。
この時にも不思議な流れがありました。mini-miniで契約中に御影中町から住吉宮町の物件前まで散歩で通り掛かった時です。物件の前に高齢者が二人立ち話していました。「ひょっとして!」とピンと来て「失礼ですが、こちらの物件の家主さんですか?」と尋ねると「そうです」との返事があったのです。家主は東京に住んでいるので不動産屋に仲介を任せているけどなかなか売れずに待っていると言われました。そこで私が契約中だと話すと不動産屋から何の情報も来ていないと驚かれ、契約内容を話しました。
すると依頼していないオプションを勝手に追加している事が分かり、不動産屋にオプション抜きにするように指示して戴けました。
その結果契約金がやや安価にして戴く事ができたのです。そして家主とも親しくなる事もできたのです。
散歩の途中で東京在住の家主に会えて信頼を得る事ができた訳です。何と家主は東京にマンションを持つ不動産業者だったので、専門の立場でmini-miniに強く指示して戴けました。これも神仏先祖による手配だと実感した次第です。
(6)甚深ミミョウのパワーを10倍に増幅するエーミーを無償添付
放射能汚染の増大で甚深ミミョウの無害化能力に不足が生じたのか、平成24年11月に能力を上げる増幅器をヒラメキで作らせて戴けました。甚深ミミョウだけより10倍強め、及ぶ距離は10mから30mに拡大できるようになりました。一層の食と環境改善で健康作り効果を上げて戴こうと言う事で家内が「エーミー(笑み)」と名付けて無償で甚深ミミョウに付属するように致しました。
(7)甚深ユーゴーPOWERになり甚深ミミョウVer.10をVer10.7へ能力アップ
平成25年11月には、再びヒラメキを賜り甚深ユーゴーを添えれば甚深ミミョウVer.10の無害化力を能力アップしてVe.10.7にできる力を持たせる事ができるようになりました。そこで「甚深ユーゴーPOWER」と名付けて甚深ユーゴーの価格を据え置きで更新しました。
そしてヒラメキを戴き、甚深ミミョウVer.10.7の価格を1万円上げて1個目は8万円、2個目以降を4万円にさせて戴きました。
(8)脳のオキシトシン濃度を上げる甚深トーゴーをご提供
平成26年4月にNHKスペシャルで「人体ミクロの大冒険」で脳にはオキシトシンと呼ばれるホルモンがあり、愛情ホルモンとか幸せホルモンとも呼ばれ出産時の陣痛と共に分泌されると言う内容でした。これを見て「これだ!」と興奮しました。
番組中に映る鬱病の患者さんの姿を見ながら、つい指テストでチェックしてしまいました。すると1カウントと言う結果を感じたのです。一方の健康な研究者を見てチェックすると5カウントと見えたのです。また出産後の母親と乳児を見ると、いずれも20カウント読めたのです。驚きました。
甚深ミミョウと甚深ユーゴーPOWERをご使用のお客様の中には、相変わらず鬱状態が改善できずに悩んでいらっしゃる方がありました。そう言うお客様のオキシトシン濃度を測ってみると1カウントとか0.5カウントとして読めたのです。体調が改善されたお客様方の顔写真を見ると5カウントだったのです。
そこで1カウントや0.5カウントのオキシトシン濃度が低い方々に対して、正常な5カウントに上げられるグッズをお手配戴きたいと祈願させて戴きました。するとその夏の8月に、黄色の絶縁パイプに、或る処理を施した円筒木材を通した円筒部を、それまでの甚深ミミョウVer.10.7とエーミーと甚深ユーゴーPOWERに添えると、オキシトシン濃度を上げてくれる効能が得られるようになったのです。
今度はミミョウとユーゴーから新たに涌く効能なので「甚深トーゴー(統合)」と家内が名付け、ヒラメキから7万円で発売しました。
既に甚深ユーゴーPOWERまでお求め戴いたユーザー様だけがご購入戴けるグッズなので、1度注文を戴いたら甚深ユーゴーPOWERの数だけお付けする方法を採用するように御指示を賜っております。
オキシトシン濃度が0.5や1カウントの方は帝王切開で産まれた方だと理解していました。
ところが自然分娩で20カウントで出産されても、トラウマになるような苦痛を体験さると、その瞬間にオキシトシン濃度を1カウント以下に減らしてしまい、以後回復できずに生涯を送ってしまうようだと分かりました。
それを治そうとして、右の画像のような薬や癒し療法があるようですが、直後はオキシトシン濃度を上げたような効果は得られても一時的なもので、長期に改善は見込めないようなのです。
そんな状況の中で、オキシトシン濃度を正常値の5カウント以上に上げてしまう品があれば夢のような存在だと言えます。
平成27年4月に黄色の円筒部に処理した断熱材をヒラメキで追加し、8月に2層断熱材に更新する御指示戴き、効能を千倍以上に上げる事もできました。
甚深ミミョウVer.10.7とエーミーと甚深ユーゴーPOWERと甚深トーゴーの黄色の円筒部と2層断熱材をワンタッチベルトで固定した結合体を甚深5グッズと呼ぶ事にしました。
甚深5グッズの効能で、今迄に精神の安堵が得られなかったお客様でも、やっと改善して戴けるものと、神仏先祖に感謝させて戴きました。
(9)健康管理センターと言える甚深アソーギに到達
平成27年秋に「甚深5グッズに若返りの効能を転写できる」という転写材として或る研磨材をヒラメキで得る事ができました。
しかし甚深5グッズに研磨材を添えて効能を転写しても、一向に顔や体に若返る変化はえられませんでした。
一応甚深5グッズのユーザー様方へは無償で郵送して転写だけは施して戴きました。
平成28年になるとヒラメキで新たに表面の塗りが綺麗な箸置きを注文するように指示を戴き購入しました。
すると又神仏の御指示を感じて新しい綺麗な箸置きにヒラメキ通りの処理を施しました。
「そんな効能が期待できるのですか?」と問うと「複数の甚深5グッズと交信して健康管理システムを構築する」との回答を感じたのです。
凄い効能に思えたので家内が無限大を意味する阿僧祇を連想したので「甚深アソーギ」と名付けました。
甚深5グッズで心身を健康体に改造し始めた後、1個の甚深アソーギが複数の甚深5グッズに働き掛けてそれぞれの携帯者を健康体にして健康維持させる効能があるようです。
半年前に転写した若返り効能とは、後に登場する甚深アソーギと健康情報を交信する機能を甚深5グッズに与えるものだったのです。
また透明樹脂は甚深アソーギと交信するアンテナで、甚深ユーゴーPOWERに貼り付けて使うものでした。
こうして究極の健康作りグッズとして若返り効能と透明樹脂を施した甚深5グッズと甚深アソーギを得られたのは、まさに神仏先祖より私達夫婦を介して賜った神器だと感謝しております。
ところで発売以来8年が経ち、早期に購入されたお客様に於いては、甚深ミミョウなどを洗濯したり破損して効能が疑わしい方もいらっしゃるかと思われました。また高価な品を紛失したり、紛失を恐れて携帯せずに居る方もいらっしゃるでしょう。
そこで「長期ユーザー様への交換プログラム」も用意して対応させて戴く御指示も戴きました。
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●8千人のお客様と東先生をお手配戴いた流れに感謝
平成5年4月に開業して平成24年5月に閉院する迄の20年間にほぼ8千人のお客様を施術させ戴きました。
「生涯に一度でも・・・」と謳っていましたので、1回だけ施術を受けられた方がほとんどでした。
御神仏より全ての方が過去世からの縁有る方を手配されているので、来られた時とお帰りになる時には、お客様の御守護尊神様に感謝の題目でご挨拶するようにお教え戴いておりました。
その中で過去世でお迷惑をお掛けした方からはクレームを言われて責められたり、良縁だった方とは効果を喜んで戴けただけでなく、甚深グッズを全て採用戴いている方もいらっしゃいましす。
特に長く深く御縁を戴いているお客様が一人いらっしゃいます。
その方は臨床心理学者の東豊先生です。
先生は神戸松蔭女子学院大学の心理学科の教授でいらっしゃった平成19年の迄、体調不良で色々な治療をお受けになられたそうです。しかし良くならなかったのでインターネットで民間治療を検索していた夏にたまたま当院のホームページに立ち寄り、その内容にピンと来たそうで、早速予約を入れて来院されました。
多分期待はされていなかったのでしょうが、説明を聞かれ施術を受けられた後、大きな効果を実感戴けたようなのです。
それから月に1回程度で定期的に通って戴くようになりました。
平成21年正月に甚深ミミョウを発売すると1個目を購入戴き、続けて最新の甚深アソーギまで常に1個目を購入戴ける格別な御高配を賜っておりました。
現在は京都の龍谷大学の臨床心理学科の教授になられています。キリスト教系の大学から仏教系の大学に移られ、ご専門の家族療法を神仏を意識した「P循環」と呼ぶ天に感謝する概念を取り入れたセラピーを広められておられます。
実は先生はとても敏感なお体をお持ちで、最新のバージョンの甚深ミミョウをお持ちでも、無害化できない食害に侵されると覿面に不調が現れてしまう体質でいらっしゃるのです。するとすぐにお顔の写メを送って来られてチェックを求められるのです。
その度に新たな被害の性質と強さを計ってご返事する訳ですが、その度に次の新たな無害化効能の追加を祈願させて戴く流れとなるのです。こうして甚深ミミョウの効能をバージョン10.7まで拡大する過程で、先生の被害感覚が不可欠のセンサーになって下さったのです。
また奥歯治療で「金冠の高さ異常」に気付かさせ戴けたのも東先生だったとも言えます。
施術しても頭蓋骨の回旋歪みが残り、半身脱力も治りませんでした。指テストで脱力側の奥歯の金冠を見ると高さ異常が確認できたのです。そこで事前にご理解戴いていた近所の歯科医院に行って戴き削って戴くのです。しかし削りが不十分なので「もっと削って下さい」と何度か通って繰り返し治療して戴いて高さ異常反応を消した経緯があります。
こうした異常はその後何人ものお客様で続きましたので、御神仏にその解決法を祈願し続けました。その結果、甚深ユーゴーを得るヒラメキを賜り、POWERへのバージョンアップにも先生のセンサーの役目が支えとなったのです。
また先生のご専門では心の病を持たれたクライエント様がいらっしゃいます。
そうした方々に先生のセラピー効果を支援させて戴けるように祈願していたところ、NHKスペシャルでオキシトシン・ホルモンに気付かせ戴いたのが切っ掛けで、甚深トーゴーを作るヒラメキを戴く流れにもなりました。
そして甚深5グッズをご自分用・ご家族用・職場用・貸し出し用にお持ち戴く中で、これらを一括で健康管理する効能がヒラメキまして甚深アソーギに辿りつきました。
東先生は又お仕事で親しくされる心の先生方にも甚深グッズを紹介戴き、何人もの先生方に愛用戴けております。
先生は大変お元気になられて、全国で臨床心理士育成の世界で大活躍されていらっしゃいます。
平成19年に当院との出逢いがもし無ければ・・・と流れに感謝戴いております。
そして今では先祖供養と共に親しくお付き合いさせて戴いてます。
大きなお役目を持つ東先生と縁戴けたのも、神仏先祖のお手配による流れだと感謝させて戴いております。
一方、高校・大学・会社で御縁戴いた方々とは完全に疎遠にしております。
同窓会や同期会が東京で開催される事情もあり、全てのお誘いに返事すら出しておりません。
関係の方々には大変申し訳ないと思っております。
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●あぶく銭から少欲知足を知る流れに感謝
バブル期に上野毛のマンションを売却して得た大金の御陰で、一時期贅沢な暮らしができました。
貧しく育ちましたが、幸い良い給料の会社に勤めておりました。そこへ夢のような大金が入ったので、バブル崩壊後に退職してカイロプラクティックの自営業に転職できました。
カイロプラクティック習得の学費や、開業の設備費を支払えただけでなく、BMWやベンツに乗って有頂天の時期を過ごす事ができたのです。
そして震災後の収入激減時期も預金で乗り越える事ができました。
一方頭の中は預金を増やす欲が吹き出て、仕事中でも暇があれば利殖の事ばかりに気を揉んでいました。
この後の体験も逐次追記いたします。
御先祖供養で夫婦の先祖を祀り、成仏や因縁浄化を祈願して毎朝法華経のお経を上げるようにしています。
それも祖父母だけでなく明治時代や江戸時代までの代々の先祖を調べ上げて沢山の御先祖を供養しています。
そして親戚や知人にもお誘いして、他家にも御先祖供養を広げる大乗修行もさせて戴いております。
すると修行の功徳として、自分や配偶者の過去世の因縁も浄化され、来世にも功徳が活かされるそうです。
またその功徳が家に纏わる因縁や、未来を担う子供達の因縁も浄めて戴けて、親としての役目も果たせる訳です。
沢山の家族が先祖供養をすればする程、日本の国を守る力になるそうです。
中国や朝鮮やアメリカなど外国から日本を守る為に、表は政治や防衛体勢にお任せして、裏は先祖供養の修行で国に尽くしたいと思います。
御先祖供養の修行は「・・・に成りたい」「・・・が欲しい」と願い事したり、地位・名誉・財産が得られたり、宝くじに当たる等の功徳を祈願する道でもありません。
霊界で人として産まれる時に、御先祖供養をしますと神仏と約束した勤めだそうです。
そして先祖供養を行ずる程功徳が積まれ、大難を小難に、小難を無難にして戴けるようです。
そして自分の業障な根性も少しずつ穏やかに変えて戴けるので、人に優しく、人からも光る存在になれるようです。
神仏からも可愛がられてヒラメキを賜りながらの日暮らしで、生かされる安らぎの中で感謝に充ちた幸せな生活をさせて戴けるようです。
神仏の知恵は大海の如しで、人間の知恵は雨垂れの一滴だそうです。
私が行じている先祖供養にもしご興味があればお話しさせて戴きます。