院長紹介

宮川準一の略歴
昭和24年 丑年、O型、東京都目黒区中目黒生まれ 品川区西小山で育つ
昭和43年 武蔵小山駅前にある都立小山台高校卒業 (菅直人総理も卒業生のようです)
昭和47年 調布の甲州街道沿いにある電気通信大学(電通大) 電波通信学科卒業 (関英男教授に学びました)
  横河・ヒューレット・パッカード社電子計測部門(YHP、現在のアジレント・テクノロジー社)に入社
昭和47年〜 5年間 代々木の東京営業所勤務 千葉県担当営業
(昭和52年 神戸市東灘区甲南町の社宅に転居)
昭和52年〜 3年間 大阪支店勤務 兵庫県担当営業
昭和55年〜 3年間 神戸営業所開設・勤務 初代 神戸営業所長
(昭和56年 社内結婚)
(昭和57年 長男出産)
(昭和58年 長女出産)
(昭和58年末 品川区の西小山の自宅へ転居。親と同居)
昭和58年〜 2年間 高井戸の営業本部 HP-IB計測システム企画担当課長
昭和60年〜 3年間 八王子の半導体本部 デジタルICテストシステム企画担当課長
(昭和60年 父を亡くして世田谷区の上野毛のマンションに転居)
(昭和63年末 現在の神戸市東灘区住吉東町に転居)
昭和63年〜 4年間 大阪の西部支社勤務 西日本担当の第一営業部長
平成3年 20年勤続直後にYHPを退社
平成4年 阪神御影駅前にあるシオカワ・スクール・オブ・カイロプラクティック御影校(現在のezカレッジ)に入学
平成5年 同校を卒業、4月 自宅で~戸カイロプラクティックを開業
平成6年 頭蓋骨矯正を体得し自分や家族に施し効果が出る。頭蓋骨矯正を重点に。
平成7年 阪神淡路大震災に遭うが我が家だけはほぼ無傷(周囲は全壊!)。4月から営業再開
平成8年 指テストの感覚が芽生え食害・環境害に気付くと共に、改善策の探求が始まる。
平成9年 ホームページ(http://www.kk.iij4u.or.jp/~miyakawa/)を開設
平成11年 食害被害を知り樹液による解毒作用に気付く
平成12年 独自ドメイン(http://www.kobe-chiropractic.com/)を開設
平成13年 Hanako Westに紹介され、一時的にお客様が殺到された。(その後は一切の取材をお断りしています)
平成17年 遺伝子組み換え食害被害の影響を問題視
平成19年 出張サービス開始
      5月1日に東灘区御影中町へ移転
平成20年 11月に無害オンと無害チャンを発表
平成21年 1月に甚深ミミョウを発表
平成21年 12月にミニ・ミミョウを発表
平成22年 8月に甚深ミミョウをVer.7にして、ご自分で施術を公開
平成23年 1月に甚深ミミョウの最終版を発表
      3月11日東北地方太平洋沖大地震が発生 14日に福島第一原発が爆発
        28日に甚深ミミョウを大震災復興支援価格に値下げ
      8月9日に甚深ミミョウの価格に2個目からの追加分価格を設定
平成24年 5月に閉院甚深ユーゴーを発表


 平成5年4月に当時築25年の戸建て木造賃貸住宅の一室を施術室にして開業しました。賃貸で住宅地であったので、店構えは自作の質素な看板を1枚貼っているだけの質素なものでした。余りに粗末なので来院されると驚かれていた思います。(右の画像)
 しかし家主が大林組の建築家であったので、家屋の構造は堅牢で震災ではビクともしませんでした。

 開業から14年後の平成19年5月に、築40年になった住吉の古家から、やや西の御影に築20年のヘーベルハウス鉄筋3階建て賃貸住宅と巡り逢い、移転することができました。(下の左の画像)
 南は広大な駐車場、北は公園に面しおり、春は桜花爛漫、夏は蝉時雨、秋は紅葉の素晴らしい環境です。
 最寄り駅は以前と同じJR住吉駅ですが、今度は阪神御影駅と阪急御影駅からも、いずれも徒歩10分で来院戴ける便利な立地条件なのです。施術室は明るい3階に設けました。

 当院は私(院長;宮川準一)と家内と2人だけの家庭的な施術院です。
 予約のお電話を戴くと家内が応対させて戴いております。(左の画像)

成人した子供2人と、同居している家内の母にも定期的に施術をしてましたし、長らく解毒対策を施して参りましたので、今や家族全員健康に過ごしています。


 私は昭和24年に東京の目黒区の区役所近くの中目黒で生まれ、品川区の西小山育ちました。
小山台高校、電気通信大学を経て、昭和47年に横河ヒューレット・パッカード(株)[現在はアジレント・テクノロジー鞄d子計測]に入社しました。

 昭和53年に神戸に転勤しました。昭和56年に社内結婚しポートアイランドに住み、神戸中央市民病院での出産で年子で2児を賜りました。
 神戸に6年過ごして、昭和58年末に東京の西小山の実家に戻り親との同居をしました。2年後に世田谷区の上野毛に移りました。
 東京で5年間働いた後、昭和63年末に不思議な事にまた神戸に戻れる転勤の辞令を戴けたのです。
私の母と家内の母と三世代揃って神戸の住吉での暮らしが始まりました。


 私は子供の頃は健康でした。たまに頭痛に襲われるくらいで体育は好きで元気に過ごせていました。中学・高校の頃はバレーボールに熱中しましたが、高校での部活では練習が激しかったこともあり、腰痛に悩ませれ痔が悪化して手術を受けたことがあります。
 大学時代は何となく体調が悪くなり、スポーツから遠のくようになっていました。

 若い頃は身長165cmで55kg程度でしたが、結婚した30才の頃から太りだし、サラリーマン時代の終盤の40歳前後は67kgになり、顔は浮腫んで体型も変わり果てていました。しかも頭痛がよく起こり、体がだるくて気力が出ず、風邪薬を飲んだだけで全身に赤疹がでたり唇が腫れたり、血糖値が高く肝機能も異常な状況でした。

 体調が悪いと言って退職すれば、2人の子供の教育費や家賃や食費など生計が不安でした。しかし家内は「お父さんの健康が第一!辞めてやりたい事をやって」を言ってくれました。そこで思い切って勤続20年を迎えた平成3年秋に退職しました。

 退職時には次の仕事が見つかっていませんでしたが、子供の頃から体が弱かった家内が、「治療師になってくれたら!」という一言にピンと来て、近所のカイロプラクティックの専門学校で学ぶことにしたのです。
 その学校の学長は日本でトップのカイロプラクティック・ドクター塩川満章先生で、「背骨矯正が神経を甦らせ健康を導く」という哲学や理論を様々教えて戴きました。自分のX線写真の分析授業の時、自分が第5腰椎の分離すべり症であることが分かったのです。同時にこの時期に多くの有名な先生方の背骨矯正を見たり、セミナーに参加したり、先生の矯正を受ける体験もできました。

 平成5年44歳の時に自宅でカイロプラクティック院を開業しました。当初は教えて戴いた背骨矯正のトムソンテクニック、ガンステッドテクニック、そして第1頚椎に施すアトラス・オーソゴナル・テクニックなどの矯正法と、光線や低周波などの理学療法を採っていました。

 ところが平成7年1月17日に阪神淡路大震災が起こりました。東灘区の当院周辺は全壊家屋が多く、大変な被害に見舞われました。しかし当院は幸いにも奇跡的に一部半壊で済み、家族全員無傷でした。電気の復旧に1週間、水道復旧に1ヶ月、ガス復旧に3ヶ月を要し、不自由な生活が続きました。
 2月には営業を再開しましたが、お客様は無く毎日が日曜日の状況が続きました。その間に、どういう訳か頭蓋骨の後頭骨の歪みが気になって、その矯正方法の体得に専念するようになったのです。そしてそれまで併用していた低周波電気治療や光線療法は止めて、頭蓋骨矯正だけにこだわるようにしたのです。多くのヒラメキを得ると共に、指先に感じる感覚を指テストと呼んで感覚を磨きながら、施術法の改善を進めて来て今日に至りました。

 私が閃いた頭蓋骨矯正の方法は、自分で自分の頭に矯正を施すことができたのです。今迄に色々なカイロプラクティックの先生に施術を受けましたが、今迄体験したことのないくらいの改善を実感できたのです。まるで呪縛から解けたように健康体に変われたのです。頭蓋骨矯正は他の療法と違って、他の先生に頼む事なく、自分で自身に施せるメリットが有ったのです。
 自分の頭に矯正を施す試行錯誤で、施術方法の改善も図ることができました。実は私自身の頭をチェックした時、私の頭も生まれつきの強く回旋歪みを持っていることが分かったのです。顎が左に7°後頭部が左に20°向いておりました。これでは体調がだんだん悪くなってきたり、歯や顎の調子が悪かったのも当然だと分かりました。45歳の時期に自分の頭の歪みの存在を知って、自分の矯正で健康になれたのは本当にラッキーだったと思っています。
 今は顎も後頭部も回旋歪みはほぼ0°で、妻が励行している害毒対策の効果もあって体重も学生時代の56kgに戻り、元気に楽しく頭蓋骨矯正の天職に勤しんでいます。
 もし阪神淡路大震災でお客様が途絶える事が無くて、この頭蓋骨の歪みや矯正方法の閃きがなかったなら、私自身に内科疾患が進行して今頃は闘病生活をしていたかも知れません。仕事としてお客様の体調改善に貢献するどころか、自分の体調が悪くてはカイロプラクティック院を続けること自体が困難だったに違いありません。

 また6歳年下の私の家内も生まれつき虚弱で、医療ではなかなか改善できなかったので、子供の頃から整体などの民間治療に高額の出費を強いられていたようです。それでも体調は良くならず、小学校から高校まで体育の授業は何と全休!という異常な学生生活を送ってきたのだそうです。
 そんな家内も私と一緒に色々なカイロプラクティックの先生の施術を受けましたが、改善はありませんでした。
彼女が40歳の頃から当然彼女の頭に頭蓋骨矯正を施しました。家内の矯正前の写真を見ると、顎に7°後頭部に20°の強い歪みがあったのです。矯正後しばらくすると着実に効果が現れてきました。何ヶ月かする内に体が疲れなくなってきて、買い物帰りに休まなくても体を動かし続けられるようになり、年を重ねる毎に健康な体になってきたのです。50歳を過ぎて更年期障害は全く無し! 今では生まれ変わったと言える程元気になっています。

 しかも私が感じ取れるようになった有害物を判別する感覚に、家内は否定どころか同調してくれたました。
竹でアク取り液を作ったり、次々に閃く解毒液作りや無害化策にも、素直に援助してくれました。そして食と環境の改善と共に、指テストの感覚も一層敏感にさせることができたのです。

 また家内も指テストを訓練して感覚を養い、無害化対策を徹底的に実行してくれたので、我が家の食と環境は順調に改善することができた訳です。その効果は家中の一層の健康作りに役立ったのです。
 築40年の古い家ですが建材や内装は無害な上に、閑静な住宅地なので、穏やかな環境作りを進めることができました。

 年子の二人の子供達も強い頭蓋骨の歪みを持っていた上に、母胎もバランスが悪かったせいで、二人共早産で未熟児で産まれました。しかもいずれも出産前に陣痛促進剤を投与されたそうです。二人目の出産では破水や掻爬で家内は相当のダメージを受けました。
 最近二人に、子供の頃の体調を聞いてみたら、長男はしばしば頭や目の痛みがあって辛かったとか、長女も偏頭痛があってしんどかったそうで、幼児期は訳もなく激しく泣き続けることがあり親として悩まされた時期もありました。しかし私の頭蓋骨矯正を受けだした10歳頃から二人の頭痛はなくなり楽になったそうです。しかも低学年の頃までは運動会で二人共走りは遅かった筈なのに、6年生の時には徒競走でいずれも一位になる程足が速くなっていたことに驚かされた記憶があります。

 長男は私と同様に電気系の大学を卒業し、長女は美術系専門学校を卒業しました。今では二人共を健康で穏やかに社会人生活を送っております。
 娘が美術学校時代に、私達夫婦に描いてくれた絵が右の絵です。夫婦の在り方を天からの空中ブランコに例えて描いてくれました。私達の宝であり、縮小版を施術室に飾っています。

 私にとっての喜びは、家族が健康になれたことに加えて、例え10年前に強い歪みを持ってお越しになられたお客様でも、1回矯正させて戴いた効果が未だに持続しており、元気になられていらっしゃる姿をお見かけできることです。

 数年前から矯正前後に撮影した背中の写真を見れば、矯正前と矯正後の歪みの程度を角度で読みとれるような感覚を得ることができました。10年前のお客様でも矯正前後の写真を撮影して今でも保存してありますので、その写真を現在見返せば、初日の施術前後の歪み角度を読みとることができるのです。すると10年前でも矯正後はほとんど歪みが取れていることが確認できたのです。そして最近その方のお姿をお見かけすれば今の歪み角度が読みとれますので、矯正効果がずっと持続していらっしゃることが分かるのです。

 一方で小さなお子様を見る度に、頭蓋骨を歪ませて産まれたお子さんの数がどんどん増えていることが分かります。何とかしてあげられないものか歯痒くてなりません。

 またその後、回旋歪みの角度だけでなく、体内麻薬の濃度、有害性や被害の強さ、生命力の強さ、脳脊髄液の流れの強さなど次々と量的な大きさを測る感覚を身に付けることができるようになりました。

 いずれにしても当院の頭蓋骨矯正は、生体反応を利用して施術の場所矯正の方向矯正の力の強さ矯正の持続時間などを、1カ所毎に「もう充分!」という生体反応を感じ取れるまで矯正を施すと言う私特有の方法を採っています。このように感覚を利用して頭蓋骨矯正する方法や、回旋歪みのロックを解くと言う矯正概念や、感覚を利用して害毒の有無を判別し解毒・無害化対策をヒラメキで会得できた自然な流れに感謝している次第です。

 米国で開発された頭蓋骨矯正を習得されたカイロプラクティックドクターが、東京の中心地や大阪などの大都市で大規模に店舗を展開されているケースがあります。私にはそのような器はありませんし、そうしたくもありません。
 たまに施術の技を教えて欲しいと訪ねて来られる方がいらっしゃいます。スクールを開いたら・・・という声もあります。しかし私の技は感覚を活用する特殊な方法なので、どなたかにお教えする事はできないのです。私が引退したら感覚を駆使したこの矯正法も終わりになるのでしょう。
 また雑誌などの取材も、以前予約4ヶ月待ちの混乱を招いてしまった経験もあるので、それ以来一切お断りしています。
 私が直接お客様とお話をして矯正に当たり、メールへの対応、HP更新も私が行って、人に任せることはしたくないのです。

 平成16年に家主が変わり、築40年の家の老朽化に伴い改築したいという要求があって、退去を迫られていました。なかなか無害で便利な条件の物件が見つからず困っておりましたが、平成18年になると環境の良い同じ東灘区の御影中町に築20年の素晴らしい物件が見つかりましたので、急遽5月1日に移転することになりました。不思議な成り行きに感謝し、5月からの新たな展開に胸を膨らませております。


 害毒対策についてですが、平成11年の頃から、娘の食中毒の際に指テストで食べたスーパーの巻き寿司をチェックしたろころ、切り口に強い有害反応が感知できたのです。この時が最初に食害を判別したきっかけになりました。この体験がきっかけとなって、指テストを活用することで、食害の有無や強さ、解毒方法や解毒効果を感じ取れるようになったのです。
 当初は天然毒(アク)を竹で解毒する方法を模索してメープルシロップ陀羅尼助丸など樹液商品の活用に集中しました。
 平成12年冬には腰痛の再発で来院された男性の着てきた皮のコートが有害であった事を知り、サミットクリーナで無害化できる事を発見をすることができました。
 平成13年には化学物質害をサミットクリーナで解毒する解毒方法や、品物に吹き掛けて無害化する方法をお勧めするようになりました。
 また平成15年に布団などの害を消すツールとしてダスターにサミットクリーナなどの無害化液を塗って無害マンという商品を発売しました。
 平成16年にはコルク枕を作って販売致しました。
 平成15年の頃から遺伝子組み換え被害で頭を12°歪ませて来る人が現れてきました。平成16年にはソ○○素材で解毒や鎮静化する対策を提案しました。
ソ○○素材を溶かした解毒液を食材に垂らしたり、ソ○○小片をポケットに入れて暮らす方法をお勧めしたのです。
 平成18年には遺伝子組み換え食害が強まり、日本人のほぼ100%の人が被害で少なくとも12°の回旋歪みを作ってしまう状況に陥ってしまいました。その内の極めて多くの方が心身の不調でお困りではないかと懸念していました。
 平成20年になるとソ○○商品が新商品に代わってしまい、旧商品が入手できなくなってしまいました。その後は出汁昆布を閃き総合解毒液にバトンタッチしました。世間では秋葉原事件など発狂状態の若い人が現れ、犯罪が激増してきました。
 そんな折り、10月に音で家中の品や食材が無害になる作用に気付き、無害オンとして発表できるようになりました。遅れて持っているだけで食材を無害にしてしまう液体を発見し、無害チャンとして発表しました。簡単に安価に解毒や無害化ができるので、すぐに購入して戴く方も現れました。
 ところが年末になると、手技で矯正しなくても、持っているだけで回旋歪みのロックを解いてしまうグッズを作る事ができたのです。甚深ミミョウという名で平成21年元旦に発表致しました。10万円という値付けなのでなかなか売れませんが、持っていると周りの人の回旋歪みのロックをといてしまうので、社会的な施術効果は劇的に拡大できました。
 平成21年1月のスポーツニュースや大相撲を見ると、男子プレーヤに全員回旋歪みのロックが起こっているのが分かりました。天はこうした悪世の到来を予期するように甚深ミミョウというグッズを考案させて戴けたのだと悟った次第です。

 今やインターネットの時代ですが、無数のサイトの中からほんの一部の方だけが苦痛に悩まされてネット検索で当院のHPに辿り着かれます。その中からほんの一部の方が当院矯正内容に賛同されて来院するか、甚深ミミョウなどのグッズを購入して戴けるのです。 そして来院された方の勧めに乗って、ほんの一部の方がご来院かグッズの購入をして戴けます。そうした縁ある方は累計で1万人くらいでしょうか。
 そうしたほんの一握りの方との出会いを大切にして、生来の回旋歪みを解いてバランス改善して戴くことに専念しております。
 そしてその中の一部の方に無害オンと無害チャンによる害毒対策を継続して戴いて、心身共に真の健康体質になって戴く「健康作りのお手伝い」をさせて戴くことが私に課せられた使命だと自覚させて戴いております。

 平成19年は5月に引っ越しという一大事がありました。その前後の心労もあってか体重が50kgに減り、体調を崩してしまいました。年末に生まれて初めて入院する結果となりました。軽い脳梗塞と診断され、血糖値が異常に高くなっていたのです。
 社会人となった息子と同じ肉料理を食べ、ご飯をお代わりし、毎晩酒を飲む生活。そして自家営業につき通勤が無く運動不足だったのが原因で脳梗塞を起こしてしまったようです。
「頭蓋骨を矯正して、無害化対策も徹底しているのに、どうして?」とショックでしたが、入院中に糖尿病治療を受け、退院後は家内がカロリー制限の食事療法に励んでくれたお陰で、すぐに血糖値は低下して薬無しで生活できるようになりました。
 実は入院中に病院内の環境や食事、投与される薬の性質や、MRIとかCTなどの検査装置、他の患者さんの具合や医師・看護士の健康度など、色々見ることができました。退院後にとても貴重な体験が出来たと感謝しています。

 平成20年は家内の絶大なる協力を得て、生活習慣の改善を図り、すっかり体調の立て直しを図る事ができました。還暦を控えて、生活を一新すると共に、施術という肉体的な矯正と甚深ミミョウというグッズによる矯正の両輪で対応させて戴くことができるようになりました。

 平成21年には甚深ミミョウとミニ・ミミョウをご提供できるようになりました。特に甚深ミミョウがあれば、自然に元気になって戴けるようになったのです。
その反面、施術の予約は激減してしまいましたが、還暦を越えた私の健康面では、丁度良い変化なのだと感謝しています。

 平成23年に甚深ミミョウを被害回避できるVer.8の最終版に更新できました。
そして3月11日に東日本大震災と福島第一原発の事故が発生しました。全国に放射能汚染が広まる中で、甚深ミミョウは放射能被曝を無害化したり放射能物質の被害を回避できる効能が威力を発揮できるようになりました。
 甚深ミミョウ最終版の誕生は、まさに想定外の原発事故を見越して事前に用意されたように思われ、不思議な力と流れに感謝している次第です。

 しかし放射能汚染によりお客様を施術をする場合、甚深ミミョウの購入を前提にして戴けないお客様を施術しても、すぐに歪みが再発し施術が効かなくなってしまい、予約を戴けるケースが激減してしまいました。従って施術院の経営が成り立たなくなり、平成24年5月に閉院して安価な家賃の家へ転居する事になりました。
 一方で甚深ミミョウのユーザー様に満足度を伺うアンケートを実施したところ、相変わらず不調の方がいらっしゃる事が分かりました。不調なユーザー様に対して写メでお顔を診断した所、以前から問題であった歯の高さ異常を共通してお持ちである事が分かったのです。そこで歯科医院にお願いしなくても解消してしまうグッズを求めていた所、閉院と同時期にヒラメキで甚深ユーゴーというグッズを得る事ができたのです。早速当院のブログで甚深ユーゴーと歯の高さ異常の問題を紹介し、転居が落ち着いた7月末にHPを更新できました。表紙のページを簡素化すると共に、10年近く前に長女が描いてくれていた絵が、私達夫婦がヒラメキの元で生きる事を示唆していたのと、甚深ミミョウと甚深ユーゴーが天から授かった存在である事を示唆していたので、掲載させて戴いた次第です。


 今日に至れたのは、私に賜るヒラメキに抵抗や否定をせずに協力してくれた家内の存在を欠かす事はできません。
そんな家内に心から感謝すると共に、今後も夫婦協力して五感を高めながら、無害化対策と、この唯一の頭蓋骨矯正の施術士として、皆様の健康作りのお役に立てるよう努力精進すると共に心も磨き、私達の小さな器に合ったサイズで皆様のお役に立とうと考えています。

 何卒宜しくお願い致します。



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